日本国民ならだれもが知っている桂歌丸さん。晩年はよく病気にかかっていたと言われていますが、何の病気にかかっていたのでしょうか。
今回は桂歌丸さんの詳細プロフィール・経歴、歌丸さんの落語の動画、最後に笑点に出演した時の動画、出身校&学生時代・家族・患っていた病気・死因・年収&莫大な遺産などについてお伝えしていきたいと思います!
目次
桂歌丸のWIKIプロフィール・経歴公開!
<プロフィール>
名前:桂歌丸
本名:椎名 巌(しいな いわお)
生年月日:1936年8月14日
没年月日 2018年7月2日
出身地:神奈川県横浜市中区真金町(現:南区真金町)
死没地:神奈川県横浜市
師匠:5代目古今亭今輔、4代目桂米丸
活動期間:1951年 – 2018年
活動内容:古典落語
家族:椎名冨士子(妻)
所属:日本芸術協会→落語芸術協会、オフィスまめかな(マネジメント・業務提携)
<経歴>
小学校4年生の頃に落語家になると決意し、
中学校3年生(1951年)には5代目古今亭今輔さんに弟子入り。
当時は「古今亭今児」と名乗る。
1964年:桂歌丸に改名。
1965年:「金曜夜席」大喜利メンバーとして初出演。
1966年:「日本テレビ「笑点」の大喜利メンバーとして出演。
1968年:真打に昇進 (落語界の身分で最も高く優れている)。
1979年:文化庁芸術祭賞受賞。
1991年:横浜文化賞受賞。
2004年:落語芸術協会会長就任。
2005年:芸術選奨文部科学大臣賞受賞。
2006年:5代目「笑点」の司会に任命。
2007年:旭日小緩賞受賞 (日本の勲章)。
2010年:横浜にぎわい座の2代目館長に就任。
2011年: 噺家生活60周年を迎える。
2016年:5月25日、文化庁が歌丸の文部科学大臣表彰を発表
2017年:3月18日、『古舘伊知郎ショー』の番組内で、引退を検討していることを発表
<名跡>
1. 古今亭今児(1951年 – 1961年)
2. 桂米坊(1961年 – 1964年)
3. 桂歌丸(1964年 – 2018年)
桂歌丸さんは小学生の頃から
落語家になりたいという夢を持っており、
小学校4年生の頃にはすでに落語家になると決意していたそうです。
通っていた小学校では体育の時間になると
自習になるので、当時から落語を演じるなどの活動をしていたと言います。
しかもこの落語が非常に好評で、
時には隣のクラスの先生から落語をやってくれないかと
お願いされたこともあったそうです。
歌丸さんは小学生の頃からすでに
落語家としての頭角を現していたようですね!
その後も歌丸さんは落語に取り組み続け、
落語に一生懸命になる歌丸さんを見ていた
祖母のタネさんは、知り合いのツテで、
歌丸さんを古今亭今輔に弟子入りさせます。
歌丸さんが本格的に落語家としての人生をスタートさせたのは
この時からだったそうです。
当時はまだ中学3年生の頃でした。
当時は今の名前とは違って
古今亭今児という名前で活動されていたようです。
落語家としての成功を収める一方、
当時の師匠とは様々な問題を抱えていて、
一時は破門状態になったこともありました。
この時は歌丸さんが少し天狗にになっていたことも
原因の一つにだったそうで、
以来、歌丸さんは常に低姿勢を貫き通し、
周りの人たちからは高い評価を得ていたそうです。
歌丸さんの低姿勢がわかるエピソードには
こんなものがあります。
自分の付き人にはカバンなどは一切持たせず、
自分で持って歩くというエピソードや、
笑点などを見ている一般の方に「座っているだけの仕事だから楽でいいね」などの
ことを言われた際も、ニコニコしながら「あれも楽じゃないんだよ~」と優しく
返事を返していたというエピソードがあるようです。
普通は自分の付き人だったら
自分のカバンくらいは持ってもらうでしょうし、
一般の方の失礼な発言には
少しは怒ってしまうと思います。
しかし、歌丸さんは心が広く
どんな時も自分の姿勢を変えることはなかったそうですね。
後輩の方々にも素晴らしいと尊敬されるのもわかる気がしますね。
ちなみに歌丸さんは若いころはイケメンだったと噂になっており、
調べてみたところ本当にイケメンでした!
こちらが若いころの歌丸さんです!
(若いころの歌丸さん)
可愛らしい一面や渋くてカッコいい一面もあって
愛されるのがわかる気がしますね!
特に右下の写真は渋さがにじみ出ていますね!
(渋くてカッコいい歌丸さん)
小学生の頃から落語家になりたいという夢を持ち、
日本を代表する落語家として多くの人に感動を与えてきた
歌丸さん。
突然の訃報に多くの方が悲しみを抱いたのではないかと思います。
本当に素晴らしい方だったので、
歌丸さんの死は悔やまれてなりません。
では一体歌丸さんはなぜ亡くなってしまったのでしょうか。
歌丸さんの病気についても調べてみました。
桂歌丸の死因は?晩年はいくつもの病気をしていた?
桂歌丸さんは病気で亡くなったということですが、
一体どんな病気で亡くなったのでしょうか。
調べてみたところ、
歌丸さんは慢性閉塞性肺疾患という病気で
亡くなったようです。
ちなみにこの病気は
たばこの煙などの有害物質によって
肺が炎症を起こす病気のようです。
20年以上の喫煙歴のある人がかかりやすい病気だそうなので、
歌丸さんもかなりのヘビースモーカーだったのかもしれませんね。
晩年は結構病気にかかることが多かったそうで、他にも
2016年7月:腸閉塞
2016年12月:肺炎(定期健診)
2017年1月:肺炎
2017年4月:肺炎
などの病気をされていたようです。
そのため常に肺疾患を抱えていたようですね。
桂歌丸の学歴&出身校はどこ!?
落語家として活躍する桂歌丸さんですが
歌丸さんは学生時代はどこの学校で学び、
どんな方だったのでしょうか。
歌丸さんの出身校や学生時代について調べてみました。
<桂歌丸の学歴・出身校>
横浜市立吉田中学校
横浜市立横浜商業高等学校定時制中退
桂歌丸さんは横浜市立横浜商業高等学校定時制を
中退していることがわかりました。
歌丸さんは中学3年生頃から落語家としての人生をスタートさせているため、
高校は途中で中退されているようですね。
小学生の頃から人前で落語を披露してきた歌丸さんは、
とにかく早く落語家としての道を歩めるように
進路を決めていったのかもしれませんね。
桂歌丸の家族はどんな方?奥さんは謎のヴェールに包まれた美女!?
桂歌丸さんの家族にはどんな方がいらっしゃるのでしょうか。
桂歌丸さんの家族構成について調べてみると奥さんがいることがわかりました。
名前は冨士子さんという方で、歌丸さんよりも4歳年上の方のようです。
歌丸さんと同じ横浜真金町の出身で、
歌丸さんの生まれ育った家の近くに住んでいたそうです。
これまでに顔を出されたことはないそうで、
笑点では「謎のヴェールに包まれた人物」とされているようです。
ただ、高座や大喜利ではしばしば恐妻として登場していました。
ちなみに子供は娘さんが一人いらっしゃるようで、
歌丸さんが42歳の時にお孫さんも生まれているようです。
桂歌丸の年収は?遺産総額が凄い!?
桂歌丸師匠は笑点の司会などを務め、とても有名な方でしたが、
これまでの年収はどのくらいだったのでしょうか。
ギャラなどを調べてみたところ、
笑点でのギャラは70万円で、
地方営業などを回っているときは
1本100万円ほどだったそうです。
地方営業は月に20本ほどこなしていたようなので、
年収にすると1億は超えていたものと見られます。
また、歌丸さんはこれだけの収入があるのにもかかわらず、
とても質素な生活をされていたようです。
お家は資産価値が1100万円ほどの
3階建てを所有しており、もう一つ所有していたマンションも
1200万円といわれています。
歌丸さんの稼ぎから考えると、
お金についてはあまり使わない生活を
されていたことがわかりますね。
そのため、貯金額などについては
莫大な金額があるのではないかと思われます。
<まとめ>
桂歌丸さんの訃報にたくさんの方が驚れたでしょうし、
悲しみに暮れた方も多いのではないかと思います。
日曜になれば、また笑点で
元気な歌丸さんが出演されるような感じがしますよね。
若いころから落語一筋で活躍してこられ、
日本人なら誰もが知っている有名人でした。
最後に歌丸さんの落語や笑点での活躍がわかる動画を
紹介していきたいと思います!
落語 竹の水仙 桂歌丸
桂歌丸、最後の笑点 司会
桂歌丸、最後のテレビ出演(7月1日「もう笑点」)
最後まで読んでいただきありがとうございました!
桂歌丸さんのご冥福をお祈りするため
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