尾畠晴夫の学歴や出身校は?
ボランティア活動家として活躍する尾畠晴夫さんですが
尾畠晴夫さんは学生時代はどこの学校で学び、どんな方だったのでしょうか。
尾畠晴夫さんの出身校や学生時代について調べてみました。
<尾畠晴夫の学歴・出身校>
中学校卒業
尾畠さんは中学を卒業していることがわかりました。
実は尾畠さんの家はとても貧乏だったそうで、
小学校5年生の時に「大食らい」という理由で
奉公に出された過去があります。
その後は奉公先の主人や家族の言うことを
なんでもよく聞く生活をしていたそうです。
全ては生きるためだったそうですが、
実の家族から離れて生活をするというのは
とても辛い経験だったのではないでしょうか。
ちなみに中学へは4ヶ月しか通えなかったそうです。
中学卒業後はすぐに鮮魚店で働き始めたそうで、
別府の鮮魚店で3年間修業の後、
下関市の鮮魚店で3年間フグの勉強をされたそうです。
また、その後神戸市の鮮魚店で
関西流の魚のさばき方やコミュニケーション術を4年間学び、
10年の修業後独立するつもりだったそうなのですが、
給料が安く貯金は0だったといます。
尾畠さんは独立するため、
開業資金を得る目的で上京し、
大田区大森の鳶・土木の会社に
「俺には夢があります。3年間どんな仕事でもするので働かせてください」
と頼み込み就職するのだそうですが、この時の鳶と土木工事の経験が、
現在のボランティア活動に役立っていると尾畠さんは言います。
尾畠さんは何事にも一生懸命で、
会社の方からもとても好かれていたそうで、
大分に戻る時には残って頭になれと熱心に誘われたそうです。
その後1963年(昭和43年)、
大分に戻るとプライベートでは4月に結婚。
そして同年11月には
28歳にして別府市内に鮮魚店「魚春」を開業し、
地元では人気店に成長していったそうです。
尾畠さんは現在ボランティアをされていて、
活動中はお金を受け取ることはしないそうですが、
鮮魚店を営むなど元々は商売人なので
お金の大切さは誰よりも知っていると思います。
その上でどのように
ボランティア活動をしていくのか自分で計画を立て、
周りには一切頼らずボランティア活動に
専念しておられるのですね。
これだけ活躍されている方ですから
最低限の活動資金はもらっても良いかと思われますが、
尾畠さんは自分のポリシーを守って
お金は絶対もらわないようです。
本当に凄い方ですね。
次のページでは尾畠さんの家族について母親の死について
紹介していきたいと思います!