樹木希林の死因がヤバイ?癌ではなく多臓器不全だった?経歴や名言は?wikiプロフ・家族・これまでの活躍など徹底調査!

                       
こんにちは、ペン太郎と申します!女優の樹木希林さんが9月15日に亡くなったという悲しいニュースが入ってきました。

個性派女優としてこれまで大変活躍されてきた樹木希林さん。一体死因は何だったのでしょうか。

今回は樹木希林さんの詳細プロフィール・経歴、2ページ目では死因や全身癌の真相を紹介していきたいと思います!

さらに、3ページ目では樹木希林さんの残した名言などについてお伝えしていきたいと思います!




樹木希林のWIKIプロフィール・経歴公開!

<プロフィール>

本名:内田 啓子(旧姓:中谷)
別名義:悠木 千帆
生年月日:1943年1月15日
没年月日:2018年9月15日(75歳没)
出生地:東京府東京市(現・東京都千代田区)
死没地:東京都渋谷区
血液型:A型
職業:女優
ジャンル:映画・テレビドラマ
活動期間:1961年 – 2018年
活動内容:1961年 – 文学座に入団
配偶者:岸田森[2](1964年 – 1968年)
内田裕也(1973年 – )
著名な家族:内田也哉子、本木雅弘、内田伽羅



 

樹木希林さんは内田裕也さんの奥さんとしても有名で、
女優としての活動を始めたのは1961年の頃だったそうです。

その頃文学座付属演劇研究所に入り、
「悠木千帆」名義で女優活動をスタートさせました。

 

その後1964年に森繁久彌主演のテレビドラマ「七人の孫」に
レギュラー出演し一気に人気者となったそうです。

そして1965年には文学座の正座員となるのですが、
1966年に文学座を退団。

その後は数多くのテレビドラマ、映画、舞台などに
個性派女優として出演し人気を集めました。



 

樹木希林と言う名前ですが、
実はこの名前に改名したときのエピソードが、面白いと話題のようです。

それは1977年4月1日の事だったのですが、
この時樹木希林さんは
「テレビ朝日誕生記念番組・わが家の友達10チャンネル・徹子のナマナマ10時間半完全生中継」の中の
オークションコーナーで、「売るものがない」という理由で
なんと自身の芸名「悠木千帆」を競売にかけたのだそうです。

結果は2万200円で世田谷の飲食店店主に売却。

そしてこれをきっかけに芸名を樹木希林に改名されたのだそうですね。

 

その後は、樹木希林として
芸能活動されていたそうなのですね。

自分の芸名を競売にかけると言うのはあまり聞かないエピソードなので、
初めて聞いた方は驚かれる方も多いようです。



 

また、樹木希林さんと言えば
フジカラーのCMに出演していたことが有名ですが、
このCMはとても人気が高かったですね。

「美しい人はより美しく、そうでない方は
『そうでない場合は』それなりに映ります」

というやりとりが話題になりました。

 

このCMには「綾小路さゆり」という
役名で 25年以上出演し続け、
2002年には好感度が最も高い女性CMタレント1位に
輝いたそうです。

そして2013年には日本アカデミー賞最優秀主演女優賞を受賞し、
そのスピーチにおいて自身が全身がんであることを告白し、
話題になりました。

 

次のページでは樹木希林さんの死因についてガンの情報などについてお伝えしていきたいと思います!

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