横川竟会長(高倉町珈琲)のwikiプロフ・経歴・生い立ち・学歴・家族・兄弟の名前など徹底調査!

                       

こんにちは、ペン太郎と申します!次回の「カンブリア宮殿」高倉町珈琲会長の横川竟会長が出演されるということで今回は横川竟会長について調べてみました!

今回は横川竟会長の詳細プロフィール・経歴、出身校&学生時代・家族・兄弟の名前・生い立ち・「すかいらーく」の成功秘話・高倉町珈琲などをお伝えしていきたいと思います!



横川竟会長のWIKIプロフィール・経歴公開!

<プロフィール>

氏名:横川竟(よこかわきわむ)
生年月日:1937年11月1日
出生地:長野県諏訪市
職業:実業家
役職:会長

 

横川竟会長は長野県諏訪市出身の方で、
これまでに「すかいらーく」「ジョナサン」の経営を
されてきており、現在は高倉町珈琲という
飲食会社の代表取締役会長をされています。

 

高倉町珈琲はシニアを中心に圧倒的な
支持を得て急拡大し、今では超人気店になっています。

タレントの伊集院光さんが火付け役となり、
高倉町珈琲のパンケーキは特に注目が集まり有名になりました。

 

(伊集院光さんもハマった特製クリームのリコッタチーズパンケーキ)

 

お店の中はシニアの方がくつろぎやすい空間になっており、
座り心地の良いソファーや椅子などが用意され、
お手洗いなどはバリアフリーになっています。

 

 

 

高倉町珈琲は、
2013年6月に東京八王子に第一号店を出店し
2014年4月に高倉町珈琲という飲食会社を設立。

 

その後も店舗は増え続けて
東京・神奈川・千葉・埼玉をはじめとする関東地区から
石川県、富山県などにも店舗は拡大し、
2018年4月には戸田店が新しくオープンしました。

 

ちなみに外観はこのような感じです。

(戸田店)

 

そして現在は高倉町珈琲はごちそうがある喫茶店として知られ、
動画サイトには高倉町珈琲のCMも流れています。

こちらがそのCMです。

 

高倉町珈琲

 

そんな高倉町珈琲を経営する横川竟会長ですが、
横川竟会長は中学を卒業後、
上京し、築地の「伊勢龍」に就職されます。

そこで商売の基本を学び、
給料の一部を起業資金にして
「すかいらーく」の前身となる
「ことぶき食品」を立ち上げます。

 

その後、1970年に飲食業界で勝負をしようと
「すかいらーく」の第1号店を府中にてオープンさせます。

そしてその後「すかいらーくは」人気店となり
瞬く間に流行ったと言います。

 

「すかいらーく」がヒットした理由について
横川竟会長はこのように語っています。

 

「すかいらーくが、大ヒットしたのは、簡単です。
アメリカのシステムを採り入れたジャパニーズレストランだったからです。」(引用)

 

「日本一おいしいハンバーグをつくろうってね。みんなでがんばったんです。
いまの人は、うそだと思うでしょうが、
当時、スーパーに並んでいるハンバーグの中身は、
ウサギやウマの合いびき肉です。
そういうのが主流の時代に、うちは、
ちゃんとした豚と牛の合いびき肉でハンバーグをつくりました。
しかも、380円です。ホテルの有名シェフを口説き落として、最高のソースもつくりあげ、メニューの幅も広げました。お客様が来ない方がおかしいでしょ」(引用)

 

また繁盛していると時の入客数についてはこのように語っています。

 

「1日1000人は来た」
「用意しておいたランチが、15分でなくなちゃう。
うちは11時からオープンするんですが、
11時30分からランチのお客様でごったがえすんです。
お客様らからすれば、早くいかないとランチがなくなっちゃうから。」(引用)

 

横川竟会長お話を聞いていると、
起業前から勝算があり、
とても自信に満ち溢れているように見えますね。

当時広い駐車場を設けたレストランは
ファミリーレストランとも言われ、
巨大なマーケットを作り出しました。

 

その頃の「すかいらーく」についてや
成功の要因について横川竟会長は
このように語ります。

 

「日本一の300店になったのは、昭和56年です。それまで赤字店はゼロです」(引用)

 

「すかいらーくが成長できた最大の要因を探ろうと思えば、昭和48年までさかのぼらなければなりません。
当時、オイルショックでインフレが起こり、景気は逆に落ち込んでいた。
その時、すかいらーくは『5年間、価格を上げない』と宣言します。
人件費だけで18%上がる時代です。価格に転嫁しないとやっていけない。
それでも、すかいらーくは380円のまま。
しかも、味も一切、落とさなかった。それが評価されました。いうならば、これがすかいらーくの流儀です」。(引用)

 

「すかいらーく」創業時は、
社会的な背景も考え、
その中で自分のお店の戦略を練り、
提供する商品の品質やクオリティを
どの程度のものにするのかなど
事細かに決めておられたのですね。

もはやお客が来ない方がおかしいというところまで
突き詰めたからこそこのような成功があったのだと思われます。



横川竟会長の学歴&出身校はどこ!?

 

高倉町珈琲の会長として活躍する横川竟会長ですが
横川竟会長は学生時代はどこの学校で学び、
どんな方だったのでしょうか。

横川竟会長の出身校や学生時代について調べてみました。

<横川竟会長の学歴・出身校>

中学卒業後築地の「伊勢龍」に就職

 

横川竟会長は中学を卒業後上京し、
築地の「伊勢龍」に就職されていることがわかりました。

そのため高校や大学などには進学しなかったようです。

 

上京後は店主に商売の基本を学び
なんでもやったそうです。

言われたことは素直に吸収し、
商売の原理・原則などはすべて叩き込まれたと言います。

最初の頃は箸の上げ下げなど基本中の基本から
教わっていったそうですね。

 

築地では4年間そのお店で学び、
薄給の中から月々少しずつお金を貯めて、
その後兄弟4人で起業をされたようです。

若いときから起業家精神があり、
どんなビジネスならうまくいくかなど分析、研究しながら
最初は「ことぶき食品」というお店を出されたそうです。

 

(ことぶき食品)

 

「ことぶき食品」は
すかいらーくのHPには、
小さなひもの食品店との紹介があるのですが、
横川竟会長に言わせるといまのコンビニのリッチ版だそうです。

オープンしたときは多くのお客さんが押し寄せたと言います。

 

しかし横川竟会長曰く、

 

「私たちは、ダイエーを追いかけていたんですが、スーパーには勝てなかった。
それがわかったから、1970年に今度は飲食で勝負しようと、すかいらーくの1号店、国立店(府中市)をオープンするんです」

 

と語っています。

 

こうして現在でも有名な飲食店である
「すかいらーく」が生まれたんですね。

ではなぜ飲食店で勝負に出たのかというと
横川竟会長はこのように語っています。

 

「なぜレストランだったかといえば、ビジネスとしていちばん遅れていたからです」。

 

当時はキャバレーかレストランのどちらでスタートさせるかということで
最終的にはこの2つの選択肢が残ったそうです。

 

「それで、キャバレーはちょっとなっていうことで、レストランになったんです(笑)」。

 

と語られています。

もしその時キャバレーだったらどんなお店になっていたのか
気になるところですが、
レストランとしてスタートした「すかいらーく」は
大成功を収めましたね。

 

現在は「高倉町珈琲」が大きくなっていっていますので、
「高倉町珈琲」も将来的には
全国に店舗を構える会社になりそうですね。

 

横川竟会長の家族はどんな方?四兄弟の三男!?

 

横川竟会長の家族にはどんな方がいらっしゃるのでしょうか。

横川竟会長の家族構成について調べてみると兄弟がおり、
横川竟会長は4兄弟の中の3男であることがわかりました。

 

一番最初に起業をした時も、
兄弟全員で力を合わせて経営しており、
「すかいらーく」を成功させたのも
兄弟の力があったからだそうですね。

ちなみにこちらがご兄弟のお名前です。

 

長男・・・横川端(よこかわただし)

次男・・・茅野亮(ちのたすく)

三男・・・横川竟(きこかわきわむ)

四男・・・横川紀夫(よこかわのりお)

 

次男の茅野亮さんは苗字が違っていますが、
これには理由があり、実は
親戚の養子になったためなんだそうです。

 

また横川竟会長の生い立ちを調べてみると
3歳~6歳ころまでは満州で暮らしており、
その場所はもうロシアの国境近くで、
まわりは山のない大草原だったそうです。

 

「360度、地平線が広がっているんです。
そんな大草原のなかで、羊や山羊や豚といっしょに暮らしていました」。(引用)

 

そして横川さんが6歳になる頃には父親がなくなり、
母親の故郷である長野県に移ったそうです。

 

小学3年生からは新聞配達の仕事をはじめ、
そのお金で山羊や兎や鶏、一時期は牛も飼っていたそうです。

 

「勉強はしませんが、仕事はしました。
小学3年生から新聞配達をはじめ、そのお金で山羊や兎や鶏、
一時期は牛も飼っていました。
学校から帰って新聞を配ります。配り終えてから、
今度は餌を積んで帰宅する。時間は、もう夜8時です」。(引用)

 

小さいころにお父さんを亡くされ、
おそらく経済的には厳しいことがたくさんあったと思います。

 

次男の茅野亮さんが養子に出されたり、
横川竟会長が中学卒業と同時に
上京して就職されたというのも
根底には経済的な問題があったのではないかと思われます。

本人は勉強が嫌いだから就職したと
おっしゃられていますが、
できることなら大学まで進みたかったという気持ちは
あったのかもしれません。



<まとめ>

横川竟会長は小さいころは満州に住んでいて、
6歳になるころに日本の長野県へ越してこられたのですね。

そして中学卒業後は築地で就職し、
商売の基本を学ばれています。

 

少ない給料の中から
少しずつ起業資金をためていき
ご兄弟で起業をされてきたそうです。

「すかいらーく」の成功の成功を経て、
現在は高倉町珈琲の会長をされておられます。

高倉町珈琲は現在も人気が上がっており、
新店舗も続々オープンされていますので、
これからも人気が上がり続けるでしょうね!
 

最後まで読んでいただきありがとうございました!

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