こんにちは、ペン太郎と申します!次回の「プロフェッショナル」に絵本作家の加古里子さんが出演されるということで今回は加古里子さんについて調べてみました!
今回は加古里子さんの詳細プロフィール・経歴、2ページ目ではかこさとしさんの作品などについて紹介していきたいと思います!
さらに3ページ目ではかこさとしさんの出身校&学生時代・家族の情報、4ページ目では死因と末期の病気の症状などの解説をお伝えしていきたいと思います!
<プロフィール>
名前:加古里子(かこさとし)
ペンネーム:かこさとし
本名:中島 哲(なかじま さとし)
生年月日:1926年3月31日
性別:男性
出生地:福井県越前市
出身地:東京都板橋区
職業:絵本作家、児童文学者
資格:工学博士、技術士(化学)
<経歴&受賞歴>
・産経児童出版文化賞大賞(1963年)『かわ』
・産経児童出版文化賞推薦(1969年)『だるまちゃんとかみなりちゃん』
・産経児童出版文化賞(1970年)『かこさとし かがくの本 全10巻』
・児童福祉文化賞(1970年)『海』、(1971年)『とこちゃんはどこ』、(1973年)『あなたのいえ わたしのいえ』
・第23回日本エッセイスト・クラブ賞(1975年)『遊びの四季』
・第15回久留島武彦文化賞(1975年)『遊びの四季』子どもの遊び研究家として
・高橋五山賞特別賞(1985年)
・日本科学読物賞(1991年)『ピラミッド』
・産経児童出版文化奨励賞(1992年)『かこさとし あそびの大宇宙』(全10巻)
・けんぶち絵本の里 びばからす賞(1998年)『きつねのきんた』
・児童福祉文化賞特別部門(2007年)長年にわたって、子どもの伝承遊びや文化活動にたずさわり、子どもの生活と文化の向上に努め、児童健全育成に貢献してきた活動
・菊池寛賞 (2008年)「絵本作家、児童文学者としてのユニークな活動と、子供の遊びについての資料集成『伝承遊び考』全四巻の完成」により
・日本児童文学学会特別賞(2009年)『伝承遊び考』
・日本化学会特別功労賞(2009年)絵本を通じて子どもたちに科学の魅力を伝えてきた功績を称えるために同賞を創設、授与
・神奈川文化賞受賞(2009年)
・川崎文化賞受賞(2009年)
・日本保育学文献賞(2010年)『伝承遊び考』
・国際アンデルセン賞画家賞ノミネート(2011年)日本代表として
・越前市文化功労賞(2011年)、越前市市制10周年記念特別功労者(2015年)
・東燃ゼネラル児童文化賞受賞(2012年)
・MOE絵本屋さん大賞2位(2013年)『からすのおかしやさん』
・第40回巌谷小波文芸賞(2017年)「だるまちゃん」シリーズ、「かわ」「宇宙」などの科学絵本、紙芝居、遊び研究と、子ども文化の広・範な分野で、科学者ならではの人類学的な叡智をバックボーンにした半世紀以上に渡っての多彩な活動とその功績に対して。
加古里子さんは日本の絵本作家、児童文学者で、
本名は中島 哲(なかじま さとし)さんという方だそうです。
加古里子さんの絵本はとても可愛らしい作品が多く、
中でも「だるまちゃんとてんぐちゃん」などの
「だるまちゃん」シリーズは有名な作品でした。
加古里子さんは大学卒業後は
昭和電工に就職し研究所勤務をされていたそうです。
そしてそれと同時に川崎市などで
セツルメント活動も行っていました。
セツルメント活動とは、
貧困地区に対して、金銭的な援助をするのではなくて、
宿泊場や託児所などを提供し、
住民の生活工場と自立支援を行う社会事業のことです。
その後1962年には「亜炭酸化生成物を基体とする土壌改良剤並びに肥料に関する研究」で東京工業大学より工学博士。1966年技術士(化学)資格を取得されます。
加古里子さんは絵本作家として知られていますが、
実は研究者としての実力も非常に高かったようです。
1959年にはダムがどのように人々の生活に役立っているかを示した
『だむのおじさんたち』という最初の絵本を手掛け、
絵本作家としての道を進み始めます。
その後、1973年に47歳で昭和電工を退社した後は
絵本作家としてフリーになり様々な活動を行うようになっていったそうです。
絵本作家として本格的に活動をスタートさせた後は、
いろいろな大学で非常勤講師を務めるなどの活動もしていたようです。
<非常勤講師歴>
1975年東京大学教育学部・東京都立大学人文学部
1983年横浜国立大学教育学部
1984年玉川女子短期大学
1985年東京大学教育学部
1990年山梨大学教育学部
次のページでは、かこさとしさんの人気作品や読者のレビューなどを一挙に紹介していきたいと思います!