絵本作家として活躍していた加古里子さんですが
加古里子さんは学生時代はどこの学校で学び、
どんな方だったのでしょうか。
加古里子さんの出身校や学生時代について調べてみました。
<加古里子の学歴・出身校>
成蹊高等学校
東京大学工学部応用化学科
加古里子さんは東京大学工学部応用化学科(偏差値67.5)を
卒業していることがわかりました。
加古里子さんはなんと大学の中でも最難関の
東京大学出身の方だったのですね。
絵本作品もそうですが、加古里子さんの著書は
すべてわかりやすく子供から大人まで読める本としても
知られています。
一見難しそうな内容を扱うのに、
読んでみるとわかりやすく書かれていて
読み手にストレスなく理解させてくれますよね。
やはり東京大学出身ということで、
文章の書き方なども熟知されているのだと思われます。
かこさとしさんの本をまだ読んだことがない方は、
ぜひ一度読んでみてください!
きっと今まで味わったことがない知的好奇心をそそられる
経験ができると思いますよ!
加古里子さんの家族にはどんな方がいらっしゃるのでしょうか。
加古里子さんの家族構成について調べてみると、
奥さんと二人の娘さんがいることがわかりました。
加古里子さんは大学卒業後は1948年に昭和電工に入社され、
研究者として仕事をしていました。
勤務先は、目黒区大岡山の会社の寮や川崎市下平間、
溝口など様々な場所を転々としていましたが、
そんな中、1955年に同じ会社の部長秘書だった女性と結婚し
二人の女の子を授かったそうです。
また、加古里子さんとお子さんとの間のエピソードには
こんなお話があります。
ある日、加古里子さんへのインタビューがあった時なのですが、
加古里子さんはその時のことをこう語ります。
「娘たちと一緒に遊ぶことはほとんどありませんでしたが、僕は子供は子供同士で遊ぶのが健全、と思っているんです。」
「以前、新聞記者が取材に来て、娘に「お父さんがこういうお仕事をしているから、たくさん遊んでもらえていいね」と気を遣って話しかけたところ、娘は我慢耐えかねるといった様子で、「遊んでもらったことなんて、一回もないもん」と答えていました。」
絵本作家として知られるかこさとしさんのイメージから想像すると
少し意外なエピソーですよね。
また、かこさとしさんがお子さんをセツルメントに連れて行った時には
娘さんはすぐに子供の中に放り込まれていたそうです。(笑)
娘さんの話し方から察するに、
娘さんも少しはお父さんに遊んでもらいたかったのかもしれませんね~。
さらにかこさとしさんと
ご家族のエピソードにはこんなお話もあります。
かこさとしさんはご家族には事前に提出前の原稿は見せない
という方針があったそうなのです。
その理由を聞くとかこさとしさんはこのように答えていました。
「最初の頃、娘に見せていたのですが
ズケズケと思ていることを言われるもんだから
がっくりしちゃうんです。」「描きなおしたいけれど締め切りもあるし、、、
落ち込んでしまうのでダメですね。」
と娘さんは意外にもお父さんの作品に辛口なようでした。(笑)
そんなやりとりをしている
様子を思い浮かべるとなんだかほっこりしてしまいますね。
次のページではかこさとしさんの死因や晩年の病気などについて紹介していきたいと思います!