こんにちは、ペン太郎と申します!次回の「カンブリア宮殿」に老舗「一澤信三郎帆布」の一澤信三郎さんが出演されるということで今回は一澤信三郎さんについて調べてみました!
今回は一澤信三郎さんの詳細プロフィール・経歴、出身校&学生時代・家族・過去に起きた相続に関するお家騒動などをお伝えしていきたいと思います!
<プロフィール>
氏名:一澤信三郎
性別:男性
職業:「一澤信三郎帆布」代表取締役社長
本社所在地:日本
所在地:京都府京都市東山区東大路通古門前北高畑町602
設立:1905年創業
業種:繊維製品
法人番号:4130001026614
事業内容:帆布製かばんの企画・製造・販売
代表者:代表取締役社長 一澤信三郎
資本金:1000万円
従業員数:85人
一澤信三郎社長は「一澤信三郎帆布」の社長さんです。
「一澤信三郎帆布」とは
京都市東山区にある布製手作りかばんの直売メーカーで、
直営一店舗のみで運営されている会社です。
信三郎帆布のかばんや袋物は、
純綿または本麻製の帆布と呼ばれる厚布で作られていて、
素朴でシンプルなデザイン、豊富な色ぞろえ、堅牢なつくりが特徴です。
また多彩な型、柄、色、ネームのアイテムがあり、
老若男女問わず人気が高いことでも知られています。
また、「一澤信三郎帆布」は主に3つのブランドラインで展開されており、
「信三郎帆布」、「信三郎 布包(かばん)」、「一澤帆布製」があります。
【信三郎帆布】
無地の純綿帆布を使ったライン。
手提げやショルダーバッグ、タウンユース向けのリュックサックなどがあります。
空色や桜色、若草色などの新色も加わっています。
【信三郎 布包(かばん)】
本麻帆布や、新たに加わった柄物の純綿帆布を使ったライン。
草花文様や蔓草更紗文様、鉄腕アトムの図柄をあしらったものなどがあります。
【一澤帆布製】
職人向けの道具入れ、昔ながらの登山系リュックサックなどがあります。
信三郎帆布の販売店は1店舗のみなので、
カタログによる通信販売なども行っているようです。
また、長年使用して破損した場合などは
修繕も受け付けてくれています。
修理をする際、職人さんは
「長年お使いいただいておおきに」という気持ちで細心の注意を払って
修理されるようです。
まず糸をほどくことから始め、
修理するかばんをながめ、お使いいただいているお客様のお名前、
ご住所からその方の雰囲気や、
お使いいただいている風景を思い浮かべながら丁寧に修理をしていくようです。
「一澤信三郎帆布」は
こうした心のこもった仕事をしてくれる会社ですので、
長年愛され続けるんですね!
こちらは「一澤信三郎帆布」のこれまでの歩みがわかる
会社の歴史です。
<会社の歴史>
2006年3月 – 京都市左京区に設立。
2006年4月 – 同市東山区稲荷町南組(グランエターナ知恩院前1F)に開店。
2008年3月 – 店舗を同区高畑町(サンコーポ東山1F)へ移転。
2008年6月 – カタログ通信販売を開始。
2009年2月 – 東京に初出展(伊勢丹新宿店で期間限定)。
2011年4月 – 店舗を京都市東山区高畑町(旧一澤帆布工業店舗1Fおよび2F)へ移転。一澤帆布製タグ商品の復活。
そんな「一澤信三郎帆布」の社長を務める
一澤信三郎社長ですが、
一澤信三郎社長は、昭和24年に
京都東山に男三人兄弟の次男として生まれました。
小さいころから住まいが仕事場だったため、
常にミシンの音を聞き、帆布のにおいを感じる暮らしを
送っていたそうです。
学生時代から家業を手伝うことも多くありましたが、
「自分の知らない外の世界へ出てみたい」と卒業後は約10年間、
大阪の新聞社に勤務。その後、1980年に家業へ戻り、
働きやすい社内環境や現代的な経営へと改善していきます。
家業を継いだ当時は社員わずか10数名の零細企業でしたが、
「広く一般の人に向けて、使い勝手のよい、丈夫なかばんを中心に作っていこう」と老若男女さまざまな人が使える帆布かばんを考案、色数や種類も増やし、
約20年かけて社員も70人を超えたようです。
これまでにお家騒動(後述します)などもありましたが、
職人の手によってつくられる製品は
長年愛されるものばかりのようです。
「一澤信三郎帆布」の経営者として知られる一澤信三郎さんですが
一澤信三郎さんは学生時代はどこの学校で学び、
どんな方だったのでしょうか。
一澤信三郎さんの出身校や学生時代について調べてみました。
<一澤信三郎の学歴・出身校>
情報なし(大学卒)
調べてみたところ一澤信三郎さんの出身校に関する情報は
見つかりませんでした。
しかし、一澤信三郎さんの経歴から大学卒であることは間違いなさそうです。
今後新たな情報が出てきたらまたお伝えして行きたいと思います。
一澤信三郎さんの家族にはどんな方がいらっしゃるのでしょうか。
一澤信三郎さんの家族構成について調べてみるとなんと一澤信三郎さんは三兄弟の次男であることがわかりました!
一澤信三郎さんにはお兄さんと弟さんがいらっしゃるのですが、
実はお父さんの信夫さんが亡くなった後、
兄弟の間(お兄さんとの間)で相続に関する争いがあったそうなんです。
父の信夫さんが亡くなった後、(平成13年頃)
生前信夫さんが弁護士に預けていた遺言書の他にもう1通、
商売に関わったことのなかったお兄さんが遺言書を預かっていたと主張し、
裁判になります。
弁護士に預けていた遺言書では、
20年以上ともに仕事をしてきた信三郎さんと弟さん、
それに信三郎さんの奥さんが、株を相続するものでした。
しかしお兄が預かったとする遺言書には、
信夫さんの株のほとんどがお兄さんに渡ると記載されていたようなんですね。
この相続に関しては裁判になり、
平成15年に「偽造とまでは言いきれない」といった判決で、
信三郎さんが敗訴してしまいます。
その後平成17年には最高裁で判決が確定し、
信三郎さんは解任されることとなります。
そしてお兄さんと弟さんが「一澤帆布」の実権を握ることになります。
その後平成18年に信三郎さんは
職人全員とともに「一澤信三郎帆布」を立ち上げ、
新たに柄ものも染めて、
今までになかった時代の求めるかばん作りを目指すことにします。
(「We Shall Return」の横断幕を揚げる信三郎さんと職人さんたち)
その後平成21年に再度起こした裁判で信三郎さんの主張が認められ、
逆転勝訴が確定し、「一澤帆布」は信三郎さんの元に戻ります。
そして平成23年には元の「一澤帆布」の店舗に戻り、
営業を再開することになったそうです。
そして現在は「信三郎帆布」、「信三郎 布包(かばん)」、「一澤帆布製」という3つのブランドを展開し、「一澤信三郎帆布」を知るファンの方たちから大きな支持を得ているようです。
<まとめ>
一澤信三郎社長は「一澤信三郎帆布」の社長さんであることがわかりました。
お店は一店舗しかなく直営店。
作られる製品は職人さんの手によって作られた
心のこもったものばかりのようです。
過去にはお家騒動などもありましたが、
現在は再び信三郎さんが経営することとなり、
活気づいているようです。
これからもファンが増え続けると思いますので、
京都に行った時は一度立ち寄られてみてはいかがでしょうか。
最後まで読んでいただきありがとうございました!
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